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物理探査のアレコレ はじめに
ごあいさつ
「地質調査って、地面に穴を掘って調べるんでしょ?」
「物理探査?それは大学の研究でやってるの?」
私が自分の仕事を周りの方に紹介すると、よく返ってくる反応です。
確かに、「地質調査をやってます」と聞いて思い浮かぶイメージはボーリング調査が多いでしょうし、「物理探査をやってます」と聞いても普通は、なにそれ??でしょう。
世間的な知名度はまだまだ低いんだな、と感じます。
自分がこの地盤探査に入社する前も同じような認識でしたので・・・
しかし、物理探査というのは社会に役立つ、そしてとても奥深い技術なのです。
近年は、大きな地震や局地的な豪雨による地すべりや液状化、堤防の決壊などの土砂災害が非常に多く発生しています。
日本列島は、その成り立ちから火山活動や造山運動の影響を多大に受けた複雑な地形・地質であり、これが土砂災害を頻発させている理由の一つでもあります。
そんな日本の国土と人々の生活を守るために、複雑な地質を分析する地質調査は欠かせないものであり、物理探査はその一端を担っています。
集中豪雨による大規模崩落現場 長大のり面の変状調査 物理探査とは名前の通り、様々な物理量を用いて地下を調査する技術です。
簡単にいえば、地震波(弾性波)とか、電流とか、電磁波などを地中に送り込み、それが地下の地質構造によって透過したり、屈折したり、反射したりといった反応をキャッチし、そのデータをもとに、地下の地質構造を明らかにする技術のことです。
・・・あまり簡単じゃないですね(笑)
説明するのに、私の上司の言葉を借りれば
「地質調査屋は地球のお医者さんである!直接地面を掘るボーリングは外科医だ。我々物探屋(ぶったんや:物理探査業者)は地下を見ずに触診する内科医みたいなもんだ!」
・・・少しはイメージがわきましたか?
お医者さんが触診で患部を診たり、血圧や脈拍を測ることは、地盤の弱い部分(断層など)や地下水の流れを探る
といった感じでしょうか。
ジオドクターという言葉もありますからね。
日本の多種多様な地質は、災害を引き起こす厄介なものというだけではなく、ユネスコ世界ジオパークに選ばれる魅力的なものでもあります。
そんな、難しくも面白い地質に深くかかわる物理探査の仕事を、より多くの方に知ってもらうため、当ブログで分かりやすく紹介していこうと思っています。
これからよろしくお願いいたします。
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賤ケ岳・余呉湖 滋賀県長浜市
観測史上最も早い梅雨入りのあと、五月晴れとなった今年の地質巡検は、湖北の古戦場・賤ケ岳(標高421m)と余呉湖。
ワカサギ釣りと天女伝説で有名な余呉湖の成り立ちは、福井から滋賀・岐阜にかけて分布する柳ヶ瀬・関ヶ原断層帯のうち最南部の柳ヶ瀬断層によるものである。
これらの地質的遍歴や背景を学びましょう!
まず、北陸道の木之本ICで降り、賤ケ岳のリフト乗り場へ。
賤ケ岳のリフト乗り場 山頂からの琵琶湖 一人乗りのリフトで山頂へ・・・新緑が美しく、ユラユラと運ばれると非常に癒される。
降りてから少し歩けば、雄大な琵琶湖!まさに絶景・・・桜の名所・海津大崎や竹生島が見られました。
山頂から余呉湖を眺めると、柳ヶ瀬断層ぞいの北国街道とのコントラストが良く分かる。
余呉湖を眺めながらボランティアの歴史ガイドさんに賤ケ岳合戦の説明を聞く。(お気持ち代を払いました)
織田信長の跡をめぐって羽柴秀吉と柴田勝家が争った、大河ドラマ・麒麟が来るの最終回のさらに後の合戦ですね。
両陣営がどのように動いたか、七本槍の活躍、毛受兄弟の悲話などダイナミックに語っていただきました。
最後に城カードをもらった・・・レアなのかな?
山頂からの余呉湖 賤ケ岳合戦の歴史講座!
賤ケ岳から下山し、余呉湖畔のレストランへ。湖岸の公園も美しく整備されており、湖面を眺めながらの昼食は美味。名物・近江牛の牛丼は最高でした。
日本最古の天女伝説と言われる、天女の衣掛柳は、残念ながら2017年の台風により倒壊・・・
湖中に沈む約3000年前の「埋没林」を探して湖畔を歩く。
流入のない余呉湖における水位変動の要因は気候変動による乾燥・湿潤の変化であり、乾燥気候(寒冷期)の水位低下時に生息していた樹木が湿潤気候(温暖期)の水位上昇で埋没林となった。
同様の埋没林が他に2層発見されており、それらは6500年前と8000年前と判明し、寒冷期と温暖期の周期を示している。
しかし今回、埋没林がどこにあるのかわかりませんでした・・・看板も何もなかったんだけど・・・残念
レストラン余呉湖 折れてしまった天女の柳 【余呉湖の成り立ち】
余呉湖の傍を流れる余呉川は、元は現在の県道284号線が通る谷をぬけ、東の高時川へと流れていた。
その後、柳ケ瀬断層の活動により、断層より西側が沈降、東側が隆起したため、余呉川は高時川へ流れることが出来なくなった。流れ先を失った余呉川の水は、柳ケ瀬断層西側の低地に溜り、これが余呉湖になったとされている。
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伊吹山 滋賀県米原市
日本百名山・標高1377m。古事記や日本書紀にも登場し、近江の戦国大名 京極氏 浅井氏が山城を築いた、歴史ある滋賀県最高峰で、石灰岩地質特有のカルスト地形を観察する地質巡検を実施しました。
伊吹山の年間平均気温は北海道の稚内と同じくらいということで寒かったらどうしようかと思っていたが、山頂駐車場で下りると、心地よい涼しさ。歩き始めると少し汗ばむ。日差しが暑い。
山頂駐車場の標高は1260m。ここから山頂まで標高差100m程度を歩いて登ることになる。
西遊歩道コースの登り始め付近、このコースは少なくとも半分以上はこのように石灰岩の砕石が敷き詰められており、歩きやすくなっている。白い歩道と新緑の高山植生のコントラストが美しい。
眼下の景色も、スキー場跡や、つづら折れの登山道、緑の中に点在する白い石灰岩など変化に富んでおり壮観だった。
伊吹山 山頂駐車場 石灰石が敷き詰められた遊歩道 山頂までの西遊歩道では、フズリナ等の微小な化石もみられた。
東遊歩道に降りると、石灰岩が林立し、小規模なドリーネ(石灰岩台地の地表に生ずるすりばち状のくぼ地)が点在していた。
往復で約2.5km。二時間程度で駐車場まで戻ってきました。
山頂レストラン・スカイテラスで、伊吹そばを堪能(そば発祥の地といわれているらしい)。
昼食後、下山し、麓の関ケ原町にある関ヶ原鍾乳洞へ。
洞内の気温は年中約15℃に保たれ、涼しく心地良い。通路はきれいに舗装され、とても歩きやすい。
暗闇の中、林立する石筍がライトアップされ神秘的な雰囲気。出口までは30分程度。
湧水にはニジマスが泳いでいる。
鍾乳洞の入り口
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佐目の風穴 滋賀県犬上群多賀町
河内の風穴はテレビなどでも紹介され、近年、観光客も多いが、こちらの佐目の風穴はマイナーでほとんど
整備されていません。
犬山川上流左岸の断崖に開いた洞窟であり、別名「佐目のこうもり穴」とも呼ばれる洞窟。総延長256m
国道306号沿いの高室登山道駐車場に車を停め、案内に沿って沢に降りると、風穴の立て看板。
しかしそこから先が分からない!手入れされた植林で見通しはきくが、洞窟らしきものは見当たらない・・・
所々、杉の木に巻いてある意味ありげなピンクのリボンを頼りに探す(現場で測量杭を探すのに似ている)
すると、石灰岩の岩壁の下部にぽっかりと開いている。
入口すぐが最も狭く、その先は広い空間。大気の流れは感じず、足元はコウモリのフンで黒くなっていました。
河内の風穴のような照明はなく、温度計だけが設置してある。
多賀町内は石灰岩の地質が広く分布するため、小規模で多層構造をもつ洞窟が点在している。最大のものは河内の風穴だが、それに次ぐ規模である。
風穴の入り口 風穴の看板 風穴散策の後は、滋賀鉱産株式会社が管理されている多賀鉱山。
方解石脈が観察できるはずだったが、立ち入り禁止区域のため近寄れず。
付近の川原で二枚貝の化石を発見。
二枚貝の化石