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  • 安土城跡・長命寺 滋賀県近江八幡市

    令和5年度の地質巡検は、安土町(現・近江八幡市)の安土城跡と、琵琶湖畔の長命寺周辺です。

    言わずと知れた織田信長の居城。現在は石垣のみが残されており、その範囲から当時の城の大きさが伺えます。

    石垣に使われているのが、主にこの周辺で産出する湖東流紋岩(中生代)であり、地質踏査の本に解説されている、石垣中の板状節理やタマネギ状風化、高温石英を観察します。

    安土城の石垣は、自然石をほとんど加工せずに積まれており、岩の表面がよく観察できるとされています。

    観察の結果、表面が土埃や苔で汚れており、分かりにくかったが板状の節理や同心円状のタマネギ風化が見られました。

    高温石英は、人工的とも思える六角錐の形が特徴だが、ごく微細なものではっきりと判別はできませんでした。

    天守閣跡から琵琶湖を見渡すと、中の湖干拓地が拡がっています。

    土砂流入や人工干拓によって消失した砂州や砂嘴・内湖の名残が見られます。

    板状節理
    割れた流紋岩の中の高温石英?

    次に、東近江市役所支所付近の竜石山での地層の観察。

    ここで5つの地層=”安土溶結凝灰岩層・竜石山層(礫・砂)・腰越溶結凝灰岩層・瓶割山溶結凝灰岩層” が堆積した火砕流堆積物層を観察できるとのことでしたが、資料が古く、今は露頭が植生に覆われて露頭が確認できませんでした。

    午後から長命寺へ。

    飛鳥時代から続く古刹のお寺で808段の石段が有名。今回は石段ではなく、迂回して寺院へ行く自動車道の露頭で

    溶結凝灰岩や高温石英を観察します。

    石英の結晶
    修多羅岩

    凝灰岩中に角ばった石英の結晶が見られました。

    また長命寺の境内には修多羅岩や六所権現影向石など、巨石信仰を表す巨大転石は圧巻でした。

    最後は国民休暇村がある宮ヶ浜で、湖岸浸食地形である波蝕崖を見学します。

    植生が茂っており分かりにくかったが、下部では波に洗われて露出した溶結凝灰岩の節理が観察できました。

    松林や芝生広場がある湖岸は清々しく、小学生の課外授業などで賑わっていました。

  • 物理探査のアレコレ 屈折法弾性波探査 その3

    走時曲線について①

    記録波形の初動を読み取れたら、その読取値でいよいよ走時曲線を作成します。

    ここからが、弾性波探査のハギトリ法解析を進めていく第一歩です。

    これまで何度も言葉として登場している走時曲線ですが、あまり馴染みがないと思います。

    走時曲線とは、起振ごとの初動読取値を、横軸を距離(測点)、縦軸を時間(初動読取値)としてプロットしたグラフになります。

    上図は、7ヶの地震計を5m間隔で設置し、0m地点で起振した際の初動読み取りと、その読取値を走時曲線にした模式図です。

    初動読取と走時曲線の相関が理解しやすいでしょうか。


    さて、これで何が分かるのか?そもそもなぜ走時曲線を作成するのか?というと、弾性波探査の屈折法解析は多くの計算式を用いた難解なものであるため、それを図式解法で単純化し視覚的に分かりやすくするためです。


    地盤の硬軟は、地盤を伝わる弾性波の速度で表すので、速度値を求めるのが走時曲線の第一の目的です。

    速度を求めるには「距離÷時間=速度」の計算をしなくてはなりませんが、横軸=距離、縦軸=時間のグラフの傾きは速度になることから、図上の傾きに定規を当てるだけで速度を求めることができます。

    上図を例に用いると、起振点0mから地震計P4までは同じ角度の傾きです。

    この傾きに定規をあてると、縦横1マスずつ 1:1の角度であり、速度は1(km/s)となります。

    計算では、距離20mでかかった時間は20msec。20m÷20msec=1km/s と、求まります。

    さて、P4から先は傾きが変わっています。波が、表層とは速度値の異なる地層を伝わっているためです。

    このP4が、表層を伝播する直接波と、下部の硬い層からの屈折波とが同着する地点です。

    P1~P4は直接波が先着、P4~P7は屈折波が先着しているということです。

    では先程と同様に、傾きに定規をあてると横2マス・縦1マス 2:1の角度であり、速度は2(km/s)となります。

    計算では、P4(20m)からP7(35m)まで距離15mで、かかった時間は7.5msec。15m÷7.5msec=2km/s と、求まります。

    各速度値を上図にあてはめると、第1層はVp=1km/s、第2層はVp=2km/sであると解析されました。

    (厳密に言えば、まだこの段階では真の速度値ではありません)

    今回は分かりやすくするため受振点・起振数はごく少数で、地盤モデルも単純な水平2層構造ですが、実際には受振点は数十~数百に及び、起振点も多くなります。地形の変化や地層の数・形状ももっと複雑です。

    これらを全て計算すると膨大で難解な作業になりますが、図式解法なら迅速かつ簡便に速度を求めることができます。

    ここまでで速度値が求まりましたが、さらに速度層の数、各速度層の速度値、層厚、形状まで、走時曲線の図上で解析していきます。

    走時曲線は、屈折法弾性波探査・ハギトリ法解析の要といえるのです。

  • 沖縄 本島

    社員旅行で沖縄へ行ってきました。我が社では二度目の沖縄旅行🌺現場としては弾性波や電気探査で出張していましたが、ちゃんと観光するのは10年ぶりくらい。

    滋賀県の朝の気温は15℃、小雨で肌寒いくらいでしたが、那覇空港到着から湿気と熱気が・・・南国に来たって感じです。

    余談ですが、この日はWBC決勝!大阪空港の搭乗口のテレビで一回表裏の攻防を見て、那覇空港到着直後に優勝を見届けました!

    周りでも歓声が上がっていました。

    空港からレンタカーで、まずは、ひめゆりの塔へ。戦争の痛ましい記録。

    次は知念岬、 斎場御嶽へ。


    3月なのに蒸し暑く森の中を汗だくで歩く。琉球石灰岩による絶景であり、祈りの聖地。明るいところで見る鍾乳石は新鮮です。

    夕方になり国際通りのステーキ店で夕食。鉄板パフォーマンス(話題のペッパーミルも)が楽しかった。

    南城市の浜辺の茶屋
    知念岬

    翌日は斑行動。ヤング2人は青の洞窟でスキューバダイビング初体験。

    アダルト3人は本島北端の大石林山へ。
    琉球石灰岩が密集する熱帯カルスト地形。プレート活動で隆起したタワーカルストや多雨で浸食されたピナクル、ドリーネなど見どころたくさん。鍾乳洞ではなく、地表にこれだけ石灰岩が露出している場所は本州にも少ないのではないか。
    沖縄の石を集めた博物館もあり、プチ地質巡検。
    沖縄は石灰岩のイメージが強かったが、付加帯からの様々な岩石が分布している。また木材が少ないため石材が暮らしに広く活用されていることを知った。
    コースの最後にガジュマルの群生地を見学。神秘的な光景でした。

    大石林山
    幸福のガジュマル

    そこから古宇利大橋のカフェでマリンブルー見て、広陵な万座毛、石垣が勇壮な座喜味城跡を巡り那覇に戻る。

    夕食は沖縄郷土料理ざんまい。ウミブドウをつまみに泡盛が最高。

    万座毛
    首里城の玄関・守礼門

    最終日は定番の首里城。火災から復興中。2026年の秋には再建されるそうです。
    そのあと識名園、瀬長島ウミカジテラスとフライト時間まで目一杯観光。沖縄を満喫しました。

  • 糸魚川-静岡構造線 フォッサマグナ 新潟県糸魚川市

    令和4年の地質巡検は、日本列島の形成に大きく関わるフォッサマグナ、そしてその境界線となる糸魚川静岡構造線。

    日中の日差しに夏の気配を感じる6月9日、ユネスコ世界ジオパークに認定された地質の街・新潟県糸魚川市を訪れました。

    ジオパーク糸魚川の中心施設・フォッサマグナミュージアムや、断層の露頭が保存されているフォッサマグナパークで、ここ糸魚川市でみられる様々な地質について学習しました。

    岩石庭園 巨大なヒスイの原石
    ブラタモリのポスター

    フォッサマグナミュージアムの入り口では、巨大なヒスイの原石と、付近で採れる種々様々な岩石が置かれており、あまり馴染みのない「苦土リーベック閃石曹長岩」といったものから、土木工事の困りもの「蛇紋岩」なども実際に目で見て、手で触れて観察することができました。

    エントランスにも展示物や地元PRビデオがあり、2021年に「ブラタモリ」にて訪れた地などの紹介もありました。

    ミュージアム内は第1~第6まで展示室が分かれています。

    フォッサマグナ

    フォッサマグナとはラテン語で「大きな溝」。溝と言っても、周囲と比べてへこんでいるような地形的な溝ではありません。

    このフォッサマグナ地域の地質は約2500万年前の新生代のものであるのに対し、これを挟む東西の地質は5億年以上前の中・古生代のものという、世界でも類を見ない地質年代の隔たりがあります。

    つまり、地質学的な大きな溝ということで、明治時代の地質学者ナウマンがフォッサマグナと名付けたのです。

    もともとは大陸の一部だった原始日本は、約2000万年前、プレートの沈み込みに伴う地殻変動で大陸から分離していきます。

    その後、各プレートの沈み込みの方向性が異なることから(日本海溝と南海トラフ)、日本群島は真っ二つに分断されます。

    この折れた日本群島の間に地層が堆積したことがフォッサマグナの誕生であると推測されています。

    ナウマン博士の肖像画
    フォッサマグナの火山帯

    糸魚川-静岡構造線

    糸魚川-静岡構造線は、糸魚川市の親不知(おやしらず)付近から諏訪湖を通って、静岡県駿河区の安部川に至る、フォッサマグナの西端の地質境界となる大断層です。これを境に、東北日本と西南日本に分断されます。

    中央構造線と並んで、日本列島の地質を大きく分断しています。

    この断層沿いに街道も整備され、江戸時代などは行商も行き交ったそうです。

    フォッサマグナパークは遊歩道が整備された、糸静線の断層露頭が観察できる公園施設です。

    海底火山からのマグマが露出した、枕状溶岩。フォッサマグナが海だった頃の、海中で起こった海底火山の活動の大きさを感じさせるものでした。

    糸静線の断層露頭
    遊歩道入口
    枕状溶岩

    ヒスイ

    東洋では古くから重用された宝石の一種。

    糸魚川の長者ヶ原遺跡では、約5000年前の縄文時代に日本最古にして世界最古のヒスイの加工が確認されています。

    ヒスイは、沈み込み帯で生成される変成岩である蛇紋岩中に含まれます。

    造山活動で蛇紋岩が地表に押し出される過程で種々の鉱物を取り込み圧力を受けた結果、ヒスイが産まれると推定されています。

    プレートの境界に位置する日本ならではの宝石と言えます。

    ヒスイのイメージは深緑色ですが、本来は様々な色が存在します。

    縄文・弥生時代には装飾品として日本全国に運ばれており、朝鮮半島にも日本からの交易品として渡った痕跡が確認されています。

    しかし、奈良時代を最後にヒスイの利用はほとんど見られなくなり、歴史から姿を消します。

    この、ヒスイ文化の突然の衰退は歴史のミステリーとされ、解明されていないようです。

    ヒスイの原石
    長者ヶ原遺跡
    ヒスイ海岸

    糸魚川市のヒスイが見つかる海岸をヒスイ海岸と通称しています。

    我々もヒスイを見つけるぞ!と勇んで海岸で探し回りましたが・・・いざ実際に見るとなかなか見分けがつかない!

    現地では波打ち際で海に膝辺りまで入ってヒスイを探している人もいたり、平日の午前中だが先客は何人もいたもよう。

    この日は雨のせいでほとんどの石が濡れてキレイな光沢を放っており、どれもこれもヒスイなのでは?と思ってしまうような状況でした。濡れた石が乾くと光沢が消え、明らかにヒスイではないと分かるのですが・・・

    糸魚川市の海岸で見られる石の種類は日本一(自称)らしく、火成岩、変成岩、堆積岩と様々な石が観察できました。

    NHKの「72時間」でヒスイ海岸が放送されるそうです。

    化石の谷
    ヒスイ海岸で採取した石とパンフレット
    ご当地B級グルメ ブラック焼きそば

    フォッサマグナミュージアム敷地内「化石の谷」での化石発掘体験では、ウミユリの茎や二枚貝・巻貝などが見つけられました。

    糸魚川名物・ブラック焼きそばは、イカスミで真っ黒な見た目も味もインパクト十分な逸品でした。

    世界ジオパークに認定されているだけあって、施設やフィールドワークが行える場所が充実しており、この糸魚川での巡検は

    実に充実したものであったと感じました。