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永源寺 滋賀県東近江市
令和6年度・第26期の地質巡検は、東近江市の永源寺地域周辺で実施しました。
滋賀と三重の県境にそびえる鈴鹿山脈に源を発した愛知川が、湖東平野に流れ出ようとしている所に臨済宗永源寺派の本山・永源寺があります。
このお寺は、1361年に佐々木六角氏頼が寂室禅師を招いて建設されました。
お寺の周辺や愛知川では、夏はキャンプ、BBQ、釣りなどで秋は紅葉を楽しむ人々でにぎわいます。
この地域の地質は、北から続いてきた湖東流紋岩の南端にあたり、永源寺はその湖東流紋岩の岩盤の上に建っています。
他に、比較的新しい古琵琶湖層や、花崗岩、花崗斑岩からなる古生層といった滋賀県を代表する岩石を見ることが出来ます。
また、愛知川沿いに集落を形成する河岸段丘崖や断層などの地質も観察します。
まずは永源寺の参道でみられる露頭を観察。谷部は護岸工事により見られなかったが、石段沿いは萱原溶結凝灰岩と呼ばれる流紋岩質の凝灰岩が切り立っており、苔むした石仏が鎮座しています。
次に、愛知川の河床に降り、古琵琶湖層の露頭を探索します。護岸工事で整備されていますが、草むらの奥に露頭がありました。
赤茶けた砂、シルト、灰色の粘土の層が水平に堆積しており崖を右へ追っていくと
地層が食い違っているのが見られ逆断層と考えられる。砂層にポツポツと穴が開いているのが見られたが透水性があるため
浸透した雨水が流れ出た後のように見られた。
道の駅・奥永源寺渓流の里で昼食後、角井断層へ。古い資料であり場所が不明瞭だが、県道を跨ぐ沢筋に分布する?
県道からそれて林道に入り、犬山花崗斑岩や秦荘石英斑岩を探す。資料には、異質岩片を含む萱原溶結凝灰岩も見られるとある。灰色の凝灰岩中に黒っぽい捕獲岩の類だろうか?
今回は、旧・永源寺町内を巡検しました。
目的の林道が封鎖されていたり、露頭が護岸工事されていたりと、資料に記されている状況と異なる箇所もありましたが、周辺でも同様の地質が観察できたことで、概ね目的を達成できたと思います。
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安土城跡・長命寺 滋賀県近江八幡市
令和5年度の地質巡検は、安土町(現・近江八幡市)の安土城跡と、琵琶湖畔の長命寺周辺です。
言わずと知れた織田信長の居城。現在は石垣のみが残されており、その範囲から当時の城の大きさが伺えます。
石垣に使われているのが、主にこの周辺で産出する湖東流紋岩(中生代)であり、地質踏査の本に解説されている、石垣中の板状節理やタマネギ状風化、高温石英を観察します。
安土城の石垣は、自然石をほとんど加工せずに積まれており、岩の表面がよく観察できるとされています。
観察の結果、表面が土埃や苔で汚れており、分かりにくかったが板状の節理や同心円状のタマネギ風化が見られました。
高温石英は、人工的とも思える六角錐の形が特徴だが、ごく微細なものではっきりと判別はできませんでした。
天守閣跡から琵琶湖を見渡すと、中の湖干拓地が拡がっています。
土砂流入や人工干拓によって消失した砂州や砂嘴・内湖の名残が見られます。
次に、東近江市役所支所付近の竜石山での地層の観察。
ここで5つの地層=”安土溶結凝灰岩層・竜石山層(礫・砂)・腰越溶結凝灰岩層・瓶割山溶結凝灰岩層” が堆積した火砕流堆積物層を観察できるとのことでしたが、資料が古く、今は露頭が植生に覆われて露頭が確認できませんでした。
午後から長命寺へ。
飛鳥時代から続く古刹のお寺で808段の石段が有名。今回は石段ではなく、迂回して寺院へ行く自動車道の露頭で
溶結凝灰岩や高温石英を観察します。
凝灰岩中に角ばった石英の結晶が見られました。
また長命寺の境内には修多羅岩や六所権現影向石など、巨石信仰を表す巨大転石は圧巻でした。
最後は国民休暇村がある宮ヶ浜で、湖岸浸食地形である波蝕崖を見学します。
植生が茂っており分かりにくかったが、下部では波に洗われて露出した溶結凝灰岩の節理が観察できました。
松林や芝生広場がある湖岸は清々しく、小学生の課外授業などで賑わっていました。
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糸魚川-静岡構造線 フォッサマグナ 新潟県糸魚川市
令和4年の地質巡検は、日本列島の形成に大きく関わるフォッサマグナ、そしてその境界線となる糸魚川静岡構造線。
日中の日差しに夏の気配を感じる6月9日、ユネスコ世界ジオパークに認定された地質の街・新潟県糸魚川市を訪れました。
ジオパーク糸魚川の中心施設・フォッサマグナミュージアムや、断層の露頭が保存されているフォッサマグナパークで、ここ糸魚川市でみられる様々な地質について学習しました。
フォッサマグナミュージアムの入り口では、巨大なヒスイの原石と、付近で採れる種々様々な岩石が置かれており、あまり馴染みのない「苦土リーベック閃石曹長岩」といったものから、土木工事の困りもの「蛇紋岩」なども実際に目で見て、手で触れて観察することができました。
エントランスにも展示物や地元PRビデオがあり、2021年に「ブラタモリ」にて訪れた地などの紹介もありました。
ミュージアム内は第1~第6まで展示室が分かれています。
フォッサマグナ
フォッサマグナとはラテン語で「大きな溝」。溝と言っても、周囲と比べてへこんでいるような地形的な溝ではありません。
このフォッサマグナ地域の地質は約2500万年前の新生代のものであるのに対し、これを挟む東西の地質は5億年以上前の中・古生代のものという、世界でも類を見ない地質年代の隔たりがあります。
つまり、地質学的な大きな溝ということで、明治時代の地質学者ナウマンがフォッサマグナと名付けたのです。
もともとは大陸の一部だった原始日本は、約2000万年前、プレートの沈み込みに伴う地殻変動で大陸から分離していきます。
その後、各プレートの沈み込みの方向性が異なることから(日本海溝と南海トラフ)、日本群島は真っ二つに分断されます。
この折れた日本群島の間に地層が堆積したことがフォッサマグナの誕生であると推測されています。
糸魚川-静岡構造線
糸魚川-静岡構造線は、糸魚川市の親不知(おやしらず)付近から諏訪湖を通って、静岡県駿河区の安部川に至る、フォッサマグナの西端の地質境界となる大断層です。これを境に、東北日本と西南日本に分断されます。
中央構造線と並んで、日本列島の地質を大きく分断しています。
この断層沿いに街道も整備され、江戸時代などは行商も行き交ったそうです。
フォッサマグナパークは遊歩道が整備された、糸静線の断層露頭が観察できる公園施設です。
海底火山からのマグマが露出した、枕状溶岩。フォッサマグナが海だった頃の、海中で起こった海底火山の活動の大きさを感じさせるものでした。
ヒスイ
東洋では古くから重用された宝石の一種。
糸魚川の長者ヶ原遺跡では、約5000年前の縄文時代に日本最古にして世界最古のヒスイの加工が確認されています。
ヒスイは、沈み込み帯で生成される変成岩である蛇紋岩中に含まれます。
造山活動で蛇紋岩が地表に押し出される過程で種々の鉱物を取り込み圧力を受けた結果、ヒスイが産まれると推定されています。
プレートの境界に位置する日本ならではの宝石と言えます。
ヒスイのイメージは深緑色ですが、本来は様々な色が存在します。
縄文・弥生時代には装飾品として日本全国に運ばれており、朝鮮半島にも日本からの交易品として渡った痕跡が確認されています。
しかし、奈良時代を最後にヒスイの利用はほとんど見られなくなり、歴史から姿を消します。
この、ヒスイ文化の突然の衰退は歴史のミステリーとされ、解明されていないようです。
糸魚川市のヒスイが見つかる海岸をヒスイ海岸と通称しています。
我々もヒスイを見つけるぞ!と勇んで海岸で探し回りましたが・・・いざ実際に見るとなかなか見分けがつかない!
現地では波打ち際で海に膝辺りまで入ってヒスイを探している人もいたり、平日の午前中だが先客は何人もいたもよう。
この日は雨のせいでほとんどの石が濡れてキレイな光沢を放っており、どれもこれもヒスイなのでは?と思ってしまうような状況でした。濡れた石が乾くと光沢が消え、明らかにヒスイではないと分かるのですが・・・
糸魚川市の海岸で見られる石の種類は日本一(自称)らしく、火成岩、変成岩、堆積岩と様々な石が観察できました。
NHKの「72時間」でヒスイ海岸が放送されるそうです。
フォッサマグナミュージアム敷地内「化石の谷」での化石発掘体験では、ウミユリの茎や二枚貝・巻貝などが見つけられました。
糸魚川名物・ブラック焼きそばは、イカスミで真っ黒な見た目も味もインパクト十分な逸品でした。
世界ジオパークに認定されているだけあって、施設やフィールドワークが行える場所が充実しており、この糸魚川での巡検は
実に充実したものであったと感じました。
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賤ケ岳・余呉湖 滋賀県長浜市
観測史上最も早い梅雨入りのあと、五月晴れとなった今年の地質巡検は、湖北の古戦場・賤ケ岳(標高421m)と余呉湖。
ワカサギ釣りと天女伝説で有名な余呉湖の成り立ちは、福井から滋賀・岐阜にかけて分布する柳ヶ瀬・関ヶ原断層帯のうち最南部の柳ヶ瀬断層によるものである。
これらの地質的遍歴や背景を学びましょう!
まず、北陸道の木之本ICで降り、賤ケ岳のリフト乗り場へ。
一人乗りのリフトで山頂へ・・・新緑が美しく、ユラユラと運ばれると非常に癒される。
降りてから少し歩けば、雄大な琵琶湖!まさに絶景・・・桜の名所・海津大崎や竹生島が見られました。
山頂から余呉湖を眺めると、柳ヶ瀬断層ぞいの北国街道とのコントラストが良く分かる。
余呉湖を眺めながらボランティアの歴史ガイドさんに賤ケ岳合戦の説明を聞く。(お気持ち代を払いました)
織田信長の跡をめぐって羽柴秀吉と柴田勝家が争った、大河ドラマ・麒麟が来るの最終回のさらに後の合戦ですね。
両陣営がどのように動いたか、七本槍の活躍、毛受兄弟の悲話などダイナミックに語っていただきました。
最後に城カードをもらった・・・レアなのかな?
賤ケ岳から下山し、余呉湖畔のレストランへ。湖岸の公園も美しく整備されており、湖面を眺めながらの昼食は美味。名物・近江牛の牛丼は最高でした。
日本最古の天女伝説と言われる、天女の衣掛柳は、残念ながら2017年の台風により倒壊・・・
湖中に沈む約3000年前の「埋没林」を探して湖畔を歩く。
流入のない余呉湖における水位変動の要因は気候変動による乾燥・湿潤の変化であり、乾燥気候(寒冷期)の水位低下時に生息していた樹木が湿潤気候(温暖期)の水位上昇で埋没林となった。
同様の埋没林が他に2層発見されており、それらは6500年前と8000年前と判明し、寒冷期と温暖期の周期を示している。
しかし今回、埋没林がどこにあるのかわかりませんでした・・・看板も何もなかったんだけど・・・残念
【余呉湖の成り立ち】
余呉湖の傍を流れる余呉川は、元は現在の県道284号線が通る谷をぬけ、東の高時川へと流れていた。
その後、柳ケ瀬断層の活動により、断層より西側が沈降、東側が隆起したため、余呉川は高時川へ流れることが出来なくなった。流れ先を失った余呉川の水は、柳ケ瀬断層西側の低地に溜り、これが余呉湖になったとされている。